地域の安全・安心を守るため、迫り来る自然の猛威に挑んで来た歴史をご紹介します。
災害名 | 手戻りならびに復旧内容 |
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1953年 (昭和28年) 姫川の水害 |
この年は5回の洪水に見舞われ、資材の流失・手戻りによる被害総額は年間完成工事高の78.8%に達した。 当時は損害保障制度も無く、当社の存亡が危惧された。 |
1958・1959年 (昭和33年・34年) 姫川の水害 |
両年とも洪水が多く発生し、施工中の工事が多大な損害を受けた。 特に昭和34年度はそれまでの最高の完成工事高をあげたにも関わらず、水害のため欠損金を計上する結果となった。 |
1965年 (昭和40年) 土砂崩落 |
この年は台風が多く発生し、特に9月18日の台風24号で国道148号が土砂崩落のため通行不能となり、必死の復旧工事を進めた。 |
1967年 (昭和42年) 赤禿山地滑り |
5月5日未明、赤禿山に大規模な地滑りが発生した。 土石流は大所川をせき止め、下流域に大災害の恐れが発生したため、県下全域から22台の湿地ブルが集められ、1週間で土砂の排除が完了した。 |
1969年 (昭和44年) 8.9姫川水害 |
局地的な集中豪雨により、高水敷全域が濁流で一杯になる大洪水となった。 国道148号・JR大糸線が交通不能となり、職員全員が徒歩で出勤し、国道・JR復旧に全力を尽くした。 |
1995年 (平成7年) 7.11水害 |
7月11日未明より、姫川流域に未曾有の集中豪雨があり、土石流となって氾濫し、国道148号・JR大糸線鉄橋が流失し長期間にわたって通行不能となった。 平岩地区の住民全員はヘリコプターで安全な地域に搬送された。 当社は国道148号の迂回路として、延長2,400mの道路を1ヶ月間で開設した。 |
上越、糸魚川、安塚の建設業界はこの災害の復旧事業に全力投球だが、このたびの災害のすごさを話した業者の一人、後藤組の後藤幸雄社長の話が臨場感が強かった。
「年寄り達の話を聞くとこんな水害ははじめてだという。その人たちの年齢を考えると百年に一度の大水害と言える事になる。とにかく〈水が空を流れた〉と言っていい。」
H7/9/20 建設ジャーナルより抜粋
7.11水害 大所地区被災状況
現場や事務所屋上に掲げた
災害復旧横断幕